フランスの銘醸地でも、温暖化の影響は極めて大きい。
その影響の大きさを、もっとも分かりやすく見せてくれるのがブルゴーニュからシャンパーニュにいたるワイン産地である。この地域は、南北の隔たりが600キロほどもあるのだが、最南端のボジョレー地方を除いて、すべての地区の高級ワインのほとんどが、白はシャルドネ、赤はピノ・ノワールという、二つの葡萄品種からつくられている。
そのため、温暖化の影響が産地とワインの味わいにどんな変化をもたらしているのかが、グラスの中ではっきりと確認できるのである。そう。一言でいえば、南方の個性が、ゆっくりと北上する様子を見てとることが出来るのである。
マルサネーという村がある。綺羅星のようなブルゴーニュワインの名品を生み出すコート・ドール(黄金丘陵)地方の最北端に位置する村だ。ぼくがワインの仕事を始めた1970年代末から世紀末に至るまで、この村はブルゴーニュでは珍しいロゼワインの産地として知られていた。ピノ・ノワールという黒葡萄にとって、この村の気候は涼しすぎたため、充実した赤ワインの生産は望めなかったのだ。それが今では、コート・ドールの中心部の銘醸地にも劣らない、立派な赤ワイン産地に生まれ変わっている。
さらに北にさかのぼると、シャブリという有名な白ワイン産地がある。ここで作られるワインも、かつてはライムやレモンを思わせる香りの、キリッと酸味が立った硬い味わいが主流だった。しかし今では、やはりコート・ドールの白ワインを思わせる、熟した果実味と複雑な深みを身にまとい始めている。
同じ葡萄を使った産地としては、さらに200キロ以上北にシャンパーニュ地方がある。シャルドネとピノ・ノワールと(一部ピノ・ムニエ)という3つの葡萄からつくられる発泡性のワインで有名だが、この地方のワインも近年は爽やか系というよりも、芳醇なタイプの味わいに変化してきている。この地方では、昔からコト―・シャンプノワという泡のない白ワインも生産されていたのだけれど、かつては酸っぱいだけの薄っぺらな安物に過ぎなかった。ところが近年は、シャブリ同様、ブルゴーニュの白に匹敵するほどの名品を生み出しつつある。
さらに驚かされるのが、海を越えたイギリス南部のスパークリングワインである。シャンパーニュよりさらに冷涼なイギリスでは、そもそもワインづくりなどほとんど行われていなかったし、わずかに生産されていたワインも、ミュラー・トゥルガウやバッカスなどのドイツ系の交配品種で、品質はひどいものだった。
そこに風穴を開けたのが、ナイティンバーという醸造元だった。彼らがシャンパーニュと同じ3つの葡萄を植え始めたのは1988年のことで、当時はまだ温暖化の実感がほとんどなかったため、ぼく自身も、このニュースには、正直首を傾げたものである。
ところが、2006年に現オーナーのエリック・へレマがこのエステートを買収し、翌年に名醸造家のシェリー・スプリッグスが参加した頃には、すでにこの地方でも充分に温暖化は進んでいた。その後、ナイティンバーのワインは数々の国際コンテストで入賞し、スプリッグス自身も、2018年に、ロンドンのインターナショナル・ワイン・チャレンジで、シャンパーニュ地方以外の醸造家としては初の「スパークリングワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するまでになった。ナイティンバーによる、この快進撃は、多くの醸造家の追随を呼び、今ではイギリス南部一体が、世界を代表するスパークリングワイン産地にまで変貌している。
と、ここまでの話を聞くと、反対に、もともと温暖なブルゴーニュ南部の産地は大丈夫なのかと不安になる方もいるだろう。幸い、フランスの夜の気温は、まだ致命的なほど上昇していないため、成熟障害までには至っておらず、むしろ南の地方ならではの熟した果実味やまろやかな口当たりがさらに増したような印象がある。
ただし、今後も安心かというと、そんなことはない。
この原稿を書きながら、改めて驚くのは、この20年における、北上の速さ、変化の速さである。「悪魔は、天使の顔をして現れる」という諺を聞いたことがあるだろうか。最初は恵みのように思えたことが、実は地獄の前触れかもしれない、という示唆である。
マルサネーやコト―・シャンプノワ、ナイティンバーの、今のこの美味しさは、もしかすると、悪魔のほほ笑みかもしれないのだ。