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グラスの中の自然(7)「山崎蒸溜所」のマザーウォーターを守る 2024.03.15

前回は、サントリーが全国の工場の水源エリアで展開している「天然水の森」の整備の基本的な考え方について簡単に触れた。

今回は、前回と前々回を受けて「サントリー山崎蒸溜所」のマザーウォーターを守り育むために、裏山の「天然水の森 天王山」でどのような森林整備をしているかについて、その一部をご紹介したい。

天王山周辺の山は、すでにご紹介したように1億5千万年以上前の堆積岩で出来ており、山崎のマザーウォーターは、その山の中をゆっくりと流れるうちに水質形成されたものである。そういう地下深くでの水質形成については、当然人間は関与することが出来ない。

しかし降った雨を地下深くへ誘導する入り口は、人の手で守ることが出来る。

入り口とは、山の地面を覆っているフカフカな手ざわりの森林土壌のことだ。

裸山の土は硬く締まっている。そういう山では降った雨が地面に浸み込むことが出来ず、地表を流れて洪水流出してしまう。

一方、木々や草などに覆われている山の土は、毎年降り積もる落ち葉や落ち枝、それをかみ砕いて土に戻すミミズなどの土壌動物や微生物、そして木や草の根によって耕され、隙間の多い水はけのいい土に変化していく。逆に言うならば、なんらかの理由で森が荒れて健全な森林土壌が失われてしまうと、地下水を育む力は急速に衰えてしまうということだ。

そんなことが起らないように、われわれはこの森で様々な活動をしている。

この山が抱えているリスクは意外に多いが、特に大きな課題が拡大竹林と、増えすぎた鹿による食害である。

まずは拡大竹林問題から見ていこう。

拡大竹林というのは、放置されたタケノコ畑が竹藪化し、そこから畑の外に地下茎が伸びていき、周囲の雑木林を枯らしながら次々に広がっていってしまう現象だ。

竹の地下茎は毎年3メートルも伸びる。そして、そこから生えたタケノコは、わずか3か月ほどで25メートルもの高さに成長してしまう。日本には、25メートルを超える高さの雑木は少ないため、新竹の内側に入った雑木は光を奪われて枯れていく。こうして、竹藪が際限もなく広がっていってしまうのだ。

天王山に広がる拡大竹林

竹は根が浅いので、拡大竹林が急斜面に広がると崩壊の危険性が高くなる。斜面が崩壊すれば、地下水の涵養力も当然失われる。「天然水の森」としても、放っておくわけにはいかないのだ。

拡大竹林を雑木林に戻すためには、ヘクタール当たり1万本以上も生えている竹を3千本程度にまで間伐する必要がある。いきなり皆伐すると地下茎が腐った数年後に斜面崩壊を起こしかねないので、まずは3千本程度に減らし、自然に生えてくる木々を育てて、それらの根で斜面を強くしていくのだ。

斜面があまり急でない箇所では、竹を皆伐してしまう。

ただし、我々の整備は通常とは時期が異なっている。従来の方式では、タケノコが伸びきった真夏に伐るのがいいとされてきた。その時期ならば、タケノコを伸ばすために地下茎に蓄えられていた養分を使いきっているので、新たなタケノコの発生を防ぐことが出来るという理屈である。しかし、真夏の暑さの中で広い面積を皆伐するのは作業員にとってあまりに酷である。その上、この方式では地下茎の養分がかなり残ってしまうようで、翌春に意外に多くのタケノコが生えてくる。

では、サントリー方式ではどうするかというと、12月から2月半ばまでにすべての竹を腰の高さで伐る。すると、冬の間に冬眠していた地下茎が腰から上を伐られたことに気がつかないようなのである。そのため、春になって地下茎が目覚めると、伐り口から樹液を垂れ流し地下茎の養分がカラカラになって死んでしまう。この方法を、あるボランティア団体に教えてもらった時には「ホントかね」と半信半疑だったのだけれど、ま、ダメ元で試してみたところ、目を見張るような効果があった。

真冬に腰高で伐採し、枯れた竹の間に広葉樹を植樹している。

ただし、3月にこの方法をとると、すでに地下茎が目覚めているようで伐り口からの樹液放出は起こらず、タケノコがいっぱい生えてきてしまう。また、九州などのように12月にすでにタケノコを伸ばし始める地域でも失敗する。

翌年以降、サバエという笹のように細い竹が伸び始めるのだけれど、それは草刈り機などで簡単に払うことが出来る。

 

つぎに問題になっているのが、増えすぎた鹿による食害である。

鹿は、好きな植物の順番に食べていく。そして、美味しい植物がなくなると次にあまり好きじゃない植物にも手を出し、最後にはトリカブトのような毒草まで食べられるようになってしまう。

そのため、鹿に絶滅された植物に依存している虫や昆虫、動物などが、順を追っていなくなるのだ。やわらかく美味しい植物が食い尽くされると、ウサギがいなくなる。次に笹が食い尽くされると、そこに巣をつくるウグイスやコマドリなどがいなくなる。こうして植物相がひどく単調になり、鳥や動物たちの姿も見られない寂しい森へと変化していってしまうのだ。

「天然水の森」にとっても、この問題は無視できない。地表の草を食い尽くされた山では、降った雨が地面に浸み込むことが出来ないため地下水にも深刻な影響が及ぶ。

鹿問題の解決には、以下の三点セットがすべて順調に進められる必要がある。

まず第一に、重要な植生が残っている場所や植樹したエリア、人工林を強めに間伐したエリアなどを、植生保護柵で囲って保護すること。その場所が、未来に多様性を残すための遺伝子の避難所になるわけだ。この対策が遅れると、将来鹿が減ってきても鹿が好まない少数の植物しか再生できなくなってしまう。

植生保護柵の内外。

植樹エリア。柵の上を針金で嵩上げして守っているのだが、それでも飛び越えられてしまった失敗例。幸い、通信式のカメラで監視していたので、このあと、急遽対策をほどこした。

第二に、植生保護柵の外では鹿が好まない草や低木で地表を覆って土壌流出を防ぐこと。この対策は、一見生物多様性に逆行するように思えるかもしれないが、当面は緊急避難として土壌流出だけは防いでおきたい。健全な森林土壌は生態系にとっても、水源涵養にとっても「基盤」である。基盤が崩れてしまうと、その後の再生にはとんでもない歳月が必要になる。

作業道の法面を保護するために、鹿の不嗜好性が最も高いミツマタを植栽した例。ミツマタは中国原産で和紙の原料になる低木。「天然水の森」では、通常流域内にある在来種の地域性種苗以外は植栽しないのだが、天王山は極めて里に近いため例外的に認めている。この場所はご覧のように竹林に隣接しているのだが、なぜかこの道には竹が侵入してこない。ミツマタに竹に対するアレロパシー効果があるとすれば、拡大竹林問題にも明るい光が見えるかもしれない。

第三に、鹿の頭数制限である。抜本的にはこの対策こそが不可欠なのだが、これを企業が進めることは難しい。多くの都会人は、山がこんなに危機的状況にあるとはご存知ない。そのため頭数制限を、逆に自然破壊や動物虐待と受け取る方も多いのだ。

実は、全国の天然水の森の中で兵庫県西脇市の森だけが、地元の猟友会さんの頑張りで柵の外でも緑が復活しつつある。しかし、この森だけに緑が復活しているため周辺の森から飢えた鹿が次々に入りこんで来てしまう。賽の河原のような際限のなさで、猟師さんたちのご努力には本当に頭が下がる。つまり、この問題の解決には地域を越えた広域での協力が不可欠なのである。

2022年、モントリオールで開催されたCOP15で、「30by30」すなわち、2030年までに陸と海の30パーセントを保護区にし、生物多様性の減少を「防ぐ段階」から「向上させる段階」に移行させるという国際的な約束が宣言された。同時に、「ネイチャー・ポジティブ」という合言葉も、多くの場面で耳にするようになった。

しかし、現状の日本では、国立公園などの保護区の中でも、鹿は自由自在にあらゆる植物を食い尽くしている。これでは、ネイチャー・ポジティブどころか、ネイチャー・ネガティブが進行してしまう。国や自治体の積極的な関与に、ぜひとも期待したいところである。

山田 健(やまだ たけし)

1955年生まれ。サントリーホールディングス株式会社サステナビリティ経営推進本部シニアアドバイザー。JEEF理事。全国1万2千ヘクタールの「サントリー天然水の森」を舞台とした研究・整備活動を推進している。著書に「水を守りに、森へ」「オオカミがいないと、なぜウサギが滅びるのか」など。ワインやウイスキーの著書も多数。

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