文:高木 幹夫(日能研代表)
チェンジがなければ持続不可能な社会に
「国連 持続可能な開発のための教育の10年(ESD)」が最終年を迎えています。この10年をふり返って、教育において持続可能な発展につながるような「変化」がどれだけ生まれたか。残念ながら、ESDという言葉さえも知らない教育関係者の方もいまだ多い現状があり、従来型の教育の中で知識伝達型の授業を続けているか、伝達方法の工夫をちょっとだけするにとどまっています。あえて強く言うのであれば、「今」の延長線上では持続不可能なんだということをもう一度確認をする必要があります。教育の中身に何らかの「変化・チェンジ」がなければ、私たちのいる世界は持続不可能になるんだ、と。
体験を通して学ぶ
教育の中でその「変化・チェンジ」をどう作るのか。多様性を受け入れること、新たな価値観の創出、課題解決のために過去の当たり前を見直していくこと等―。ESDのE(Education)にみる学びの形は、「学習者が主体的であること」が不可欠になります。
もちろん、持続可能性のために「こうやれば必ず成功する」という方法があるわけではありません。が、未来につながるであろう糸口の一つとして私が注目しているのが「体験から学ぶ」「体験を通して学ぶ」という方法です。
「体験から学ぼうと、本を読んで学ぼうと、獲得する知識は知識だ」。そうかもしれません。しかし同時に私たちは、獲得の仕方によって知識の使いやすさが違う、ということを経験的に知っています。使いやすい状態で獲得された知識のことを、一般に「応用力」とか「生きた知識」とか、さらに柔らかくなると「生きる力」といった言葉で表現しています。特徴の一つは、知識がネットワークでつながっていること。知識同士がたくさんのつながりを持っている、ということです。
ここに一つのモデルを提示してみます。(図1)
一行目の「記録+根性=丸暗記」、経験ありませんか?「単語カードを作って一つ一つ覚えていく」「自分の覚えたいところに赤でマークをして緑の下敷きで隠しながら確認していく」。断片的な知識を詰め込んでいく。ネットワークを作る意識はほぼ、ありません。(まあ少なくとも単語帳より下敷きの方が、文章のつながりの中で覚える努力が感じられますが…。)一昔前には「1ページ分を覚える度に、辞書をちぎって食べる」という強者も実際にいました。今の時代、この学び方では意味をなさないことは、誰でもうなづけることでしょう。
二行目の「記録+感情=記憶」はいかがでしょうか?この、一行目と二行目が変わっていくことが、「学習におけるチェンジ」の大きな一歩になると考えています。「感情」を伴った学習。まさに、「体験を通して学ぶ」という学び方が得意としているものです。「楽しい!」「意外!びっくりした!」「なぜなんだろう?」「変だなぁ?」…学習者の気持ちが動くことで、さらに自らを学び進めて行く力にも繋がっていくのです。自分が主体となって学べば、知識を疑うこと、変えていくことは困難ではありません。
自分の内側にどれだけ知識を貯めこむことができるのかが、今大事なのでしょうか。一方で、自分の手の中に全ての知識を握っている、とも言える時代です。インターネット端末一つと少しの時間さえあれば、自分の必要としている知識はこの掌に表示され、文字通り手に入ることになるでしょう。必ずしも知識を覚えておくことが必要ではない時代に突入してきています。
知識を「獲得する」「使う」が反転
そんな中で今話題になっているのが、カーン・アカデミーが提唱した「反転授業」です。この原型は、良質な教育を実施している一部の学校の中では、昔からあたり前に行われてきた方法です。そして今、インターネットの普及と利用法の発達により、動画視聴などを前提とした方法を使って広がろうとしています。「反転」というのはその言葉の通り、知識を「獲得する」と「使う」が「反転」しているということです。従来型の学習では、授業というみんながいる環境で「獲得」し、テストという自分一人の中で「使う」という構造でした。反転授業では、自分一人の時に「調べ」「確認」し、みんなでいる時に「使う」。だから授業は、先生が一方的に覚える対象や新しい知識を提示する、という時間ではありません。みんなが調べてきた既に知っているもの、調べる中で生まれた問いや疑問をもとにして、話を深め、議論をする。一人ひとりが自分の持っているものを「使って」いく時間になるのです。仲間との間で知識のつながりが多様に変化していきます。
大切なのは大人の関わり方
反転授業とセットで注目を集めるのは、「生徒一人に一台タブレットを用意します!」… といった端末導入など学習環境の変化です。では、端末を導入しなければ反転授業はできないのか。端末を使ったとしても授業の場が結果、知識の確認に終始していたのでは「多様な意見を踏まえて知識を使う場」や「やりとりから新たな学びを生み出す場」となる授業にはなりません。授業が反転するかどうかの肝は、ネット環境や端末環境ではなく「人」という環境、大人の態度変容なのです。体験的な学びの中で大切なのは、環境教育を例にしても、まさに「大人の居方・関わり方」です。どんな自然の中に行ったとしても、大人が知識を教え込むタイプの接し方をしていれば、体験的な学びは、ほんの少ししか起きません。学習者自身が主体として疑問を持ち、自ら学ぶエネルギーを持ち続ける人的な環境を作ること。いくつか大切なことはあるでしょうが、その一つは、「ファシリテーション力」です。待つこと、促すこと、聞くこと、つなぐこと。効果的にクラスが動き出すような場作りをし、ディスカッションの活性化を図っていくこと。個人やグループのプロセスを見る観察力もこの中には含まれるでしょう。もう一つは「ふり返り」です。学習者による明確なふり返りは自分が何を経験し、次にどう活かすのかをはっきりさせます。そして、ふりかえりの力を持てれば、何時でも自分でふり返り、学びを進めて行くことができます。これによる主体性の成長は大きな力となります。
「反転授業」という手法は確かに、これからの学びを想像しやすくする一つのきっかけになるでしょう。「正しい知識」を学ぶために、授業の中心であった教科書はその権威を失い、「聞く」「受け取る」「加工する」「話す」→「受け取られる」「加工される」→「戻ってくる」というコミュニケーションの力が主役の座にとって代わるのです。俯瞰してみれば自然の中に入り「体験を通して学ぶ」要素(感情・思考技法・論理・未知、等)を、クラスルームという環境の中に持ち込める可能性を、反転授業は示したのです。
この可能性から私たち大人が何を学ぶか。どんな場所でもどんな状況でも、関わる大人たちが工夫できることはあります。人が変わることが、子ども達の成長につながるのです。子どもたちが「持続可能になるはずの学び」を生み出すことができるように、何らかの「変化・チェンジ」を。まずは自分が変わることです。そこから周囲の大人を巻き込んでいきましょう。
地球のこどもとは
『地球のこども』は日本環境教育フォーラム(JEEF)が会員の方向けに年6回発行している機関誌です。
私たち人間を含むあらゆる生命が「地球のこども」であるという想いから名づけました。本誌では、JEEFの活動報告を中心に、広く環境の分野で活躍される方のエッセイやインタビュー、自然学校、教育現場からのレポートや、海外の環境教育事情など、環境教育に関する幅広い情報を紹介しています。