文:村上 健太郎(NPO砂浜美術館理事長)
私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。
これが砂浜美術館のコンセプトです。名前の通り、砂浜美術館は建物のない美術館です。長さ4kmの砂浜を美術館に見立て、そこに流れ着く漂流物や、鳥がつける足跡など、地域に当たり前にある資源や風景が作品です。ですから、365日24時間オープン、BGMは波の音、夜の照明は月の光です。でもそれだけでは「そこに美術館がある」ことが伝わりづらいので、「Tシャツアート展」をはじめとした四季折々のイベントを実施しています。「地域資源から新しい価値をうみだすこと」が私たちの活動で大切にしていることで、現在は、地域のケーブルテレビの番組制作や町の観光振興、砂浜に隣接した高知県の都市公園の指定管理業務、地域の特産品や旅行商品などを販売するweb ショップの運営などを行い、私を含め約20名のスタッフが仕事をしています。
2枚の写真が砂浜美術館を訪れるきっかけに
2001年、当時の仕事を退職後、JEEFの自然学校指導者養成講座を受講しました。そこで受講した「地元学」という授業の中で、講師の方が砂浜美術館のことをお話されたのが、砂浜美術館を知るきっかけです。素敵なコンセプトと2枚の写真(左の何もない砂浜の写真とTシャツがひらひらしている写真)が私の人生を大きく変えました。それまでは、富士山のような国立公園での圧倒的な自然が、フィールドと考えていた私にとって、聞いたこともない町でした。そして、そのままの砂浜を美術館にみたて、地域の人たちが楽しみながら活動する取り組みはとても新鮮でした。講座終了後、「砂浜美術館でスタッフを探しているみたいだよ」との情報を得て、砂浜美術館を訪れました。運よく、スタッフとして採用していただきました。
砂浜美術館に出会うまで
砂浜美術館の活動に深く共感できたのは、幼少期からの生活環境も大きく影響していると思います。
幼稚園から中学まで豊かな自然に囲まれた環境で学校生活を送りました。そして大学3年間は、幼い頃から大好きだった富士山で、環境省が実施していた、山頂に2週間ほど宿泊しながら行う清掃アルバイトに参加。4年時には、山頂の測候所でお世話になりながら、富士山をフィールドに卒業論文を書かせて頂く機会をもちました。
当時は国立公園のレンジャーの仕事にあこがれていましたが、大学卒業後は違う分野で仕事をしていました。でもどこかに、「自然の面白さ、すばらしさを伝える仕事がしたい」、という思いがあったのでしょう。前述しましたが、「自然学校指導者養成講座(第3期生)」の存在を知り、仕事を退職し受講しました。3ヶ月間の座学のあとのOJTでは、富士山のふもとで活動するホールアース自然学校で多くのことを学びました。
修学旅行で訪れた子どもたちと一緒に自然のフィールドを歩きながら、インタープリテーションし、自然の中で子どもたちの表情が変わる瞬間に立ちあえたことは、「これを仕事としたい」と強く感じた経験でした。
砂浜美術館に出会ってから
砂浜美術館の考え方や取り組みに惹かれ、縁もゆかりもないまちに移住して13年目になりますが、地域で継続して仕事をしていくことにも、いくつもの要素があると思います。
当時は単身で移り住んだ私も、気がつけば結婚し、3人の子どもの父親となりました。私の出身は神奈川県ですが、子どもたちのふるさとはこの高知県黒潮町であることを実感したとき、子どもたちが大きくなって、いずれ一旦はこの町を離れていくとしても、自分の町のいいところ、自慢できるところを、自分の言葉で語ることができる人であってほしいと、強く願うようになりました。
そして今年、これまでお借りしていた古い家を改修し、土地を譲って頂きました。改修をしてくれた大工さんや関わってくれる職人さんも、ほとんど地元でこれまでお世話になっていた人。そして、自分の名前が記載された土地の登記簿を見て、「また少し、この地に根をはれたかな」と感じるとともに、大好きなこの町のありのままの人・風景・自然が、これから先も変わらず残ってほしい、そのために自分ができることは何かを改めて考えるようになりました。
いずれ砂浜美術館での仕事をバトンタッチして離れたとしても、この黒潮町で生活していくでしょう。砂浜美術館の考え方をもって町をみれば、そこに新しい価値を見出し、仕事が生み出されるはずです。「地方創生」が様々なところで話題にのぼりますが、砂浜美術館の視点で日本のいろいろな地域を見たら、もっともっと気持ちよく暮らすことができる豊かさや価値観があるはずです。これからも砂浜美術館や自分自身の暮らの中から、そうしたメッセージを発信していきたいと思います。
- 地域に根ざした農業を1からはじめる
〜ヨシオカ農園 吉岡 龍一さんの場合〜 - 住民による自然資源の適切な利用を通した、生計向上と環境保全型農村を目指して
- 科学を伝え、市民と共に考える
〜科学館勤務 科学技術インタープリター 小川 達也さんの場合〜 - 美しい砂浜が美術館
〜NPO砂浜美術館理事長 村上 健太郎さんの場合〜 - いのちの営みを「ひとつのおさら」にのせて
〜カラーズジャパン株式会社 西村 和代さんの場合〜 - よい師匠に出会おう!
〜青木将幸ファシリテーター事務所 青木 将幸さんの場合〜 - アジアの開発途上地域で国際環境教育活動を目指す人のために 1
- 都内でわくわく自然体験!
- インドネシアを全身で感じて
カテゴリー
最新の記事
地球のこどもとは
『地球のこども』は日本環境教育フォーラム(JEEF)が会員の方向けに年6回発行している機関誌です。
私たち人間を含むあらゆる生命が「地球のこども」であるという想いから名づけました。本誌では、JEEFの活動報告を中心に、広く環境の分野で活躍される方のエッセイやインタビュー、自然学校、教育現場からのレポートや、海外の環境教育事情など、環境教育に関する幅広い情報を紹介しています。