文:高松敬委子 インタビュー対象:田中栄成、渋谷健夫(新宿区環境対策課)
新宿区は、3つの「新宿の森」を育てていることを、皆さんは存知でしょうか? この森にはどのような狙いや影響があるのか、新宿区環境対策課の田中栄成さんと渋谷健夫さんにお話をうかがいました。
平成26年度は、3つの森合わせて503.6tのCO2を吸収しました。(新宿区環境清掃部環境対策課:田中栄成さん 渋谷健夫さん)
新宿区は、長野県伊那市、群馬県沼田市、東京都あきる野市の3つの地域で「新宿の森」を守り育てている。区内で発生したCO2を、この森が吸収するCO2で埋め合わせをする、カーボンオフセット事業としての役割がまず一つ。間伐等の森林整備をすることでCO2の吸収が促進される。平成26年度は3つの森合わせて503.6tのCO2を吸収したことになる。
もう一つの大きな役割は、環境体験学習のフィールドとして活用されていることだ。専門家に森林整備をしてもらいながら、区民の環境体験学習として植林や間伐体験、さらに地域資源を活用した里山体験も実施している。
区が抱える環境問題や区の環境施策は区民になかなか伝わらないものであるが、このような体験学習を通じて、区民に情報が届き、逆に区民の声も訊けるチャンスとなっている。また、自治体間の連携が強固となりこの事業を超えた良い循環を生んでいる。
新宿の森:伊那 市民向けイベントとのコラボレーション
平成21年度から、伊那市の里山を活用し、区立小学校の移動教室を行っている。また、当初は区の環境学習情報センターである「エコギャラリー新宿」が指定管理事業として行っていた環境体験学習を、平成26年度からは区の職員で実施している。
新宿区、伊那市、現地のNPO「伊那谷森と人を結ぶ協議会」が協働でプログラムを考案し、NPOが間伐体験の指導や自然観察のガイドを、参加者の誘導や進行管理を伊那市と新宿区の職員が行っている。標高が高く、険しい森は専門家の整備に任せ木材を切り出して売却し、平地林は自然体験ツアーでの間伐体験に利用している。
この環境体験学習(自然体験ツアー)は、当初、参加者数が伸び悩んでいたが、親子向けに対象を拡大したところ、現在は3つの森で年間300〜400名の応募があり、抽選となる人気の自然体験ツアーとなった。
「新宿の森・伊那」では、NPOと協働で、生きものや木の話を含めたネイチャーガイドツアーや、草木染め、木工体験などを行う。これらは、元々、伊那市が実施していた「わくわく森・もり」という自然体験イベントを、「新宿の森」自然体験ツアーのタイミングに合わせて開催するといった、伊那市とのコラボレーションによるものだ。その他、伊那市の温泉旅館に宿泊し、地元食材を使った料理を味わえる。
新宿の森:沼田 市の全面的バックアップ
平成25年度から、区の職員の運営で自然体験ツアーを実施。沼田市の場合は伊那市とは異なり、元々ゴルフ場だったところを森に戻すため、間伐ではなく植林をベースとした森林整備をしている。新宿から車で2時間半と近い沼田市は、コンパクトな範囲に温泉や古民家などの体験できる自然資源がいろいろと揃っている。平成27年7月のツアーは1泊2日で「玉原湿原ハイキング/築200年の古民家で手打ちうどん等の夕飯づくり/星空観察/廃校を使用した宿泊体験/新宿の森で下草刈り体験/トマト狩り、バーベキュー」と盛りだくさんだ。
区職員による運営といっても、沼田市の全面的な協力があるからこそ、このような魅力的な自然体験ツアーを実現できている。例えば、市は地域の資源を十分理解しており、ツアーのプログラムを細かいところまで一緒になって企画する。また、ハイキングとなれば、地元のNPOに協力を呼びかけ、専門家による質の高いガイドを提供している。
なぜ、このような沼田市の協力を得られるのか。一つは、沼田市が移住や田舎体験によって、都市部から人を呼ぶことに力を入れており、「新宿の森自然体験ツアー」が、沼田市と新宿区の相互のメリットになるということ。もう一つは、新宿区と沼田市の職員間同士の濃密な交流がポイントだ。
新宿の森:あきる野市 日帰りに特化した自然体験ツアー
新宿からもっと近いところで森林整備活動ができないか、という要望がきっかけで森林整備を開始したのが、あきる野市。ここにできた「新宿の森」は、自然体験ツアーが日帰りで参加できることで人気。倍率は4倍という難関となっている。
内容は下草刈り体験を中心に実施。普段から自然保護活動やネイチャーガイドをしている、森林レンジャーあきる野(あきる野市職員)の協力のもと、生きものの話を聞いたり、樹名板の取り付けなどを行う。
「親子で参加しても、楽しんでいただけるよう親子一緒に活動してもらうプログラムと大人と子供が分かれて活動してもらうプログラムを工夫して実施しています。」プログラムの最後には、子どもたちだけで学び体験したことを大人たちに発表し、振り返りを兼ね学びをシェアしている。
ツアー楽しかったね!で終わらせないために
「ともすれば、自然体験ツアーは『楽しかったね』だけで終わりがちです。バスの中で、カーボンオフセットの話をしたり、そもそもどうして区がこういった企画をしているのか等、お話をする時間を設けています。」 移動時間以外にも、参加者と話ができる機会が持てるので、その際に環境意識につながる話題を心がけているそうだ。
また、沼田の自然体験ツアーでは、事前にツアー参加者に、環境に関する宿題を出しておき、当日に発表の時間を設けるという試みもしている。
また、温暖化対策に熱心に取り組む区民を対象とした「新宿エコ隊」という登録制度に、登録を呼びかけている。一度エコ隊に登録すると、毎年エコチェックダイアリーが届く。これは毎月のエネルギー消費量を記入するなど、環境家計簿のような位置付けであり、区の情報を知ることや、日常の省エネ活動を続けられるような工夫がされている。
「新宿の森」に人が集まるひ・み・つ
同じような森を持っている自治体は、新宿区以外にも存在する。それらの自治体とは一線を画すほど、自然体験ツアーに人が集まるのはなぜだろうか。訊いてみると、なにも特別な広報をしているわけでもない。
「他の市区町村と違いがあるとすれば、私たちは頻繁にそれぞれの自治体とを行き来しているということですかね。よく『かなり密接におつきあいされていますよね』って言われます。」こう話す田中さんは、特別なことをしているつもりではない様子。職員間の活きた交流が、魅力的な企画を生みだしているのだ。「エコギャラリー新宿のイベントに来てくれた時には会場で顔を合わせたり、区役所に寄っていただけたりするので、私たちも嬉しいし打ち合わせや仕事以外の話もよくします。ツアーの成功に関わるヒントをもらったり、自分たちの担当業務以外のことも調べておいてくれたりと、相手の自治体の方たちは努力を惜しまないで、本当にいろんなことをしてくれます。」「手前味噌ですが、おかげでツアーのクオリティはどんどん上がっています。」と、田中さんは言う。「せっかく都心から来てもらえるのなら、地域のいいところを知ってもらいたい、もっといい体験をしてもらいたい」と、各自治体から良いアイディアが集まるのだ。
極端な話、森林整備だけの事業なら、地元の業者と契約をしてお金を払い、報告書を送ってもらうだけで済ませることもできる。しかし、「新宿の森」の狙いは、表面的な森林整備だけではなく本質的なところにある。提携先の自治体と交流を密にすることで、魅力ある企画を作り、今では口コミで応募者数が増え続けている。その結果、カーボンオフセットができることを前提としながら、多くの区民に環境学習体験や情報を届け、各自の日常の意識や行動の変容に繋げるのだ。
自治体間連携で「新宿の森」その先へ
このような自治体間連携は、「新宿の森」事業の枠を越えたところでも威力を発揮している。例えば、沼田市とは災害時の支援協定を結んだ。「東日本大震災の際には、新宿でも飲料水が手に入りにくかった時期がありましたが、すぐに飲料水のパックを手配していただいて、本当に助かりました」。地方を活性させるためには都心が持つモノを活用し、都心の問題解決のためには、地方の持つモノを活用する。これからも新宿区の、事業の枠を超えた自治体間連携に期待できる。
文責:高松敬委子(JEEF職員)
地球のこどもとは
『地球のこども』は日本環境教育フォーラム(JEEF)が会員の方向けに年6回発行している機関誌です。
私たち人間を含むあらゆる生命が「地球のこども」であるという想いから名づけました。本誌では、JEEFの活動報告を中心に、広く環境の分野で活躍される方のエッセイやインタビュー、自然学校、教育現場からのレポートや、海外の環境教育事情など、環境教育に関する幅広い情報を紹介しています。