文:北 俊宏
1度きりの授業なんて意味がない!?
スリランカ第二の都市キャンディの市役所に赴任して2カ月たった頃、ある学校に出向いて約250人の生徒の前で3Rや日本のゴミ処理について話をした。私にとって初めての出前授業だった。授業と言っても、30分間一方的にプレゼンテーションを行うだけ。覚えたての拙いシンハラ語(※1)。子供たちは珍しい外国人が来て大はしゃぎ。とてもじゃないが意味がある授業とは言えず散々な結果だった。出前講座が3回目を迎えた頃、ふと「こんな1度きりの授業なんて意味がない。」そう思い止めてしまった。
※1:スリランカの約75%を占めるシンハラ人の言葉
コンポスト普及を通して見つけた双方向型授業のヒント
新しい活動を模索していた私は、高倉式コンポスト(※2)の普及にのめり込んだ。予算や技術的な理由でゴミの焼却処理ができないスリランカでは、ほぼ全てのごみが埋め立て処理されていた。しかし、郊外の空き地に積み上げられ汚水管理もされない処分場がほとんどで、ゴミの腐敗による異臭の問題など家庭ゴミの約70%を占める生ゴミの削減が求められていた。コンポストは一般的に認知され少しは普及していたが、発酵食品から菌を培養して効率的に堆肥化する手法はあまり知られていなかった。
※2:食品から発酵菌を培養し効率よく堆肥化する手法
私はコンポストを広めるために、市内450のモデル家庭を作る活動を始めた。10人の住民グループを作り、バスケットを無料配布しては繰り返しワークショップ(WS)を行った。私のシンハラ語は相変わらず拙かったが、大勢の前で行う授業と違い、数人と向き合いながら会話形式で行うWSは、住民の理解度も高く好評だった。半年かけて50回以上のWSを実施する中で、ある確信が生まれた。「相手の理解を深めるには、対話を通して相手の理解度を把握し、一人一人に向けたメッセージを発信しなければいけない」ということ。これは、後の双方向型授業の大きなヒントになった。
環境教育への再チャレンジ
赴任から10カ月が過ぎた頃「もう出前授業はやらないのか?」とカウンターパート(ボランティアの上司)から言われた。日本人が行う1度きりの授業なんて意味がない。まだその気持ちは拭えてなかったけれど、教育の可能性は誰よりも信じていた。やらないで後悔するくらいなら、やってみよう。残り1年の新たな挑戦が始まった。
「そもそも環境教育とは?」赴任前からずっと考え続けているテーマだった。日本には環境教育と名の付く教科はない。だけど、「社会」のゴミ処理場見学や地域のゴミ拾いなど、誰もが小さい頃から様々な機会を通して、知らない間に繰り返し環境教育を受けられる仕組みがある。「スリランカでもこのような日本モデルの環境教育ができないだろうか?」下は幼稚園から、小・中・高、大学まで。一般の学校だけにとどまらず、仏教学校や予備校、ホテル、住民集会でも環境教育WSを行った。
双方向型の対話を基本構成として、授業の最後には振り返りと称し、子どもたちに授業で習ったことを両親へ報告する練習をさせた。ある時、市役所に私を訪ねてきたお母さんがいた。「あなたの授業のお陰で子どもがゴミの分別を始めました。ありがとう」たった1度きりの授業が決して無駄ではないと証明された瞬間だった。
たとえ1度きりの授業で芽は出ずとも、見えない土の下で殻を破り確実に成長している。「まず相手を信頼すること」、それが教育の一番重要なことではないかと気づかされた2年間だった。
地球のこどもとは
『地球のこども』は日本環境教育フォーラム(JEEF)が会員の方向けに年6回発行している機関誌です。
私たち人間を含むあらゆる生命が「地球のこども」であるという想いから名づけました。本誌では、JEEFの活動報告を中心に、広く環境の分野で活躍される方のエッセイやインタビュー、自然学校、教育現場からのレポートや、海外の環境教育事情など、環境教育に関する幅広い情報を紹介しています。