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尾瀬の自然便り(3)風景の中の道 2021.12.15

初めて尾瀬を訪れたのは大学生の頃でした。
入山口の鳩待峠を出発し、樹林の登山道を一時間程歩いて尾瀬ヶ原の湿原へ。
そこには、先へ向かう道と帰路の道の、二本並べられた木道が、湿原とその先にそびえる燧ヶ岳(ひうちがたけ)の麓との境までずっと伸びていました。こんな風景の中を通る道があるんだ・・・と、そのとき感じたワクワク感、今も鮮明に思い返すことができます。

早朝の尾瀬ヶ原

私は自然写真を撮るとき、人工物などが写り込まないようにするのですが、尾瀬では木道と登山者を入れて撮ることが多くなります。木道も、木道を歩く人も風景に溶け込んでいるような気持ちになるのです。

尾瀬に初めて木道が敷かれたのは1952年だそうです。今でこそ湿原や植生保護のためというイメージですが、元々はぬかるみを登山者が歩きやすいようにと考えてのことでした。森から伐り出した木材や倒木を、ぬかるみのひどいところに置き、登山者が歩きやすく足が汚れないようにしたものです。しかし、木道を外れて歩く人も多く、さらに1960年代には尾瀬の観光ブームで大勢の人が訪れたため、湿原の踏み荒らしが目立つようになりました。そのような状況を改善しようと、湿原植生を守るという目的に木道整備が変化していったのです。木道は、毎年計画的に整備されていて、ヘリコプターでの物資輸送、工事の様子を散策中でも目にします。

木道がない頃は湿原を自由に歩いていた(※写真提供:(公財)尾瀬保護財団


木道のはじめ頃(1961年)(※写真提供:(公財)尾瀬保護財団

木道は場所によっては、一本の単線での設置もあります。その場合は、どちらかが道をゆずることになります。「お先にどうぞ」「ありがとうございます」「急がないで大丈夫、ゆっくりで」、自然と優しさや思いやりのやりとりが生まれます。一期一会のすれ違いだと思うので、そうした時こそ、私も笑顔で対応したいなと思っています。

そんな木道も今は雪が降り積もっているでしょう。夏は草木の影が落ち、秋は落葉、春は雪解けの増水で浸ることも。木道の足元は、その季節の風景を表しているようです。

夏、木道に笹の葉の影絵

寒さも増して、歩くのに気合いが必要な季節になりましたが、この冬はお気に入りの防寒具を身につけて、まだ歩いたことのない自分の住む町の道を歩きたいと思います。

伊澤 菜美子(いざわ なみこ)

尾瀬自然ガイド。神保町で紙の卸売会社に勤めながら、休日は森に通う社会人生活をしばらく過ごす。その後、山梨の自然学校で環境教育を学び、ガイド、ビジターセンター運営の経験を経て、群馬県北部に移住。現在は尾瀬国立公園で自然や関わる人々の魅力、環境保全の取組みなどを伝える仕事に携わる。

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