私がJEEFと関わりを持つようになって、今年で35年になります。35年前には、ESDやSDGsという概念はまだ生まれておらず、「環境教育」という言葉も現代のようにポピュラーなものではありませんでした。今回、このコラムでは、年齢60代の私が環境教育という活動を通して、過去をふりかえりつつ、2022年現在、環境教育活動を続けていることの意味を考えてみたいと思います。
現在、私は、日光国立公園の那須地区にある「那須平成の森」というところでインタープリターをしています。他の国立公園同様にたくさんの人が自然を楽しみにやってきます。
私は現場でのインタープリテーション活動のほかに若いスタッフを育てる立場として、業務にあたっています。若いスタッフは、私から見ると自分の娘や息子に当たる年齢(Y世代若年~Z世代)ですから、世代間に潜む異文化を痛感することは多々。
私から見ると、彼らの特徴は、業務や自分の関心ごと以外の知識や情報を自らが取りには行かない、ジェンダーについては親からの抑圧は受けているが自身は偏見はもっていない、というかそもそも異性にあまり興味がないようです。
私が活動を始めた1980年代の自然保護活動や環境教育活動はほぼ男性がリーダーで、保守的でした。当時はまだ、ジェンダーという語彙は専門用語で、研究者以外は「フェミニズム」という言葉には無関心でした。
私自身は、自然保護に興味がありましたが、環境教育という概念はまだ理解不足でした。今、私が行おうとしている「環境教育活動をジェンダー視点で見る」などという視野は全く持ちあわせていませんでした。私は、活動に夢中になっていくほどに、さまざまなハラスメントを体験することになります。
周りは男性ばかりで、彼らのホモソーシャルな価値観と自分の価値観はずれていることを否応なく認識する毎日。
自分が一人の人間であるまえに「女」であることを他者から一方的に押し付けられていることに違和感があっても、それを口にしてはいけないという抑圧がありました。
私が同席しているにも関わらず、セクハラ的な会話が平然と続いたり、夜の席でのクライアントとの飲み会では手を握られる、足を触られる等の直接的なセクハラ。いろいろな専門委員会に女性枠のような形で指名され始めた頃、選考者の男性から「優秀な女性が少ない」(から、委員の推薦ができない)と言われたとき、とても違和感を持ちました。
「女性はもともと男性より下等なのか?」。しかし、私は何も返答できないのでした。のちに、彼のこの言葉は完璧な男性優位の発想であることを私は理解するのですが、当時の私は反論するための理論(言葉)を持っていなかったのです。
また、官公庁からの仕事がおりてくると、まず男性に仕事がふられていくのを黙ってみているだけでした。能力以前に、女性であることでふるいから落とされる、これが「機会均等の不平等」なのかと実感しましたし、その度に自分の存在が無視されているような虚無感が蓄積していきました。(次回へ続く)